サイレントミニッツの歴史
- silentminutejp
- 2019年10月20日
- 読了時間: 2分
更新日:2019年12月12日
サイレントミニッツが始まったきっかけ。それは第一次世界大戦の前夜、ある二人の兵士の会話からでした。

サイレント・ミニッツは、第一次世界大戦のエルサレムでの戦いの前夜、 ある2人の兵士の会話から生まれました。 一人の兵士はこの戦いから生きて還れない…と悟っており、 すべての陸、海、空で起きる さらなる戦争(第二次世界大戦)の到来も予知していました。 これからの戦争に送り出される数百万人の兵士たちには
自分と同じように命を落とすのではなく、無事に生還してもらいたい。 もうすぐ戦死して「the otherside- あちらがわ」にいっても みんなを支援できるように‥‥ 「毎日僕を思い出してほしい。その時間を僕にください。 その沈黙は、僕がみんなを支援する機会になるから」
もう一人の兵士にその方法を伝えました。 「あなたが思うより、沈黙の力は大きい」 それから数年後、終戦したはずの世界大戦は再びはじまり、 1940年のロンドン大空襲をきっかけに サイレント・ミニッツは始まりました。
立ち上げたのは、生き残ったもう一人の兵士。
ウェズリー・チューダー・ポール卿。
彼がもたらした沈黙の時間は 「目にはみえないが強力な軍隊」を微細な層に創り出した …と言われています。
サイレント・ミニッツは、自由と平和のための「沈黙」ですから、 哲学や宗教に関係なく、意志の統一のために、 陸、海、空すべての英国連邦の領土、 すべての市民に呼びかけられました。 午後9時のビックベンの鐘の音が、ラジオを通じて 英国民を一つにまとめ、沈黙の時を告げました。
国王、王室、そしてチャーチル首相もふくめて
何百万人もの市民が参加していた…と言われています。 多くの人々がこの奉仕ー献身的な意思表示に参加すれば、 いずれ潮流が変わり、イギリスへの侵略が迂回されることを ポール卿は見抜いていたのです。 この平和をもたらした試みが成功したことは、 あるドイツの高官の言葉によって認められました。
「太刀打ちできない秘密兵器があり、私たちはそれを理解できなかった。 とてもパワフルで、毎晩のビッグベンの鐘と関係があることだけはわかった。 人々はそれをサイレント・ミニッツと呼んでいた」
それがサイレントミニッツの始まりです。
追記:ウェズリー・チューダー・ポール卿は グラストンベリーの瞑想ガーデンである 「チェリスウェル」を創った人物です。 いずれ彼のことは別の記事にまとめたいと思います。
#サイレントミニッツ #チャーチル首相 #ウェズリー卿 #チェリスウェル #SilentMinute
Commentaires